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ベトナム🇻🇳ホーチミン出張
2024年9月22日
無事帰国🇯🇵しました。長男が通訳として同行した海外出張はバンコク🇹🇭、ハノイ🇻🇳に続き今回のホーチミン🇻🇳が3度目。
だけど仕事2:遊び8ネ✌️
たまたま地元の後輩が弊社のエンドユーザーの取締役って事で彼に会わせて大学一年生の長男にキャンパスライフを今どうすべきか、また将来を見据えた今をどのように歩むべきか等のお話をしてもらうのも目的のひとつだった。
また余暇を利用し市内観光(取引先の事務員さんのチャンさんが案内してくれたす)、ランドマーク、メコン川クルーズ、統一会堂(サイゴン陥落の地)はたまた戦争博物館等々を訪れた。
あの悲惨なベトナム戦争。
見学中落涙している人も数人目にした。
斯く言うこんな私メも目頭が熱くなったのを覚えている。
世界で起きている全ての内戦、戦争についてこの場で私見を述べるのは差し控えますね。
されどボクとて胸の内はある。
ただ特筆すべきは理由はさておき人と人が殺し合う戦い、無関係な子どもたちをも巻き込む戦さだけは避けてほしい。
現代で言わばまだ本国は平和。
しかしながら我々の子どもたちが大人になった時、また孫たちが大人になりし時代、いついつの時代までも平和で当たり前に過ごせる世の中であり続けてほしいと切に願う。
ホントに悲しい現実です。日本は平和すぎて当たり前の世の中を当たり前じゃないんだよって感じなくなってる気がする。
世界を見てほしい!
帰国後すぐさまベトナム戦争の本を購入しました。
しばしスマホはお預けです。
ってか奥さんとボクは週一くらい戦争(奥さん😡😡😡×ボク🥵)してるけどね。
三男と2人でモンゴルの旅
2024年8月28日
3ヶ月ぶり4度目となる此度の渡蒙🇲🇳は小学5年生の三男との2人旅。
ここモンゴル🇲🇳ナライハ大草原の朝☀️は
早く小さな子ども含め遊牧民総出で家畜🫏🐂🐏🐐の世話から1日がはじまる。
モンゴル🇲🇳ウランバートルは世界一寒い首都と言われているだけあって、ここナライハも夏とはいえ寒暖差は激しく、朝は搾りたてのヤギ🐐のミルクで作ったモンゴルティー☕️で冷えた身体を温める。
朝食は全く味のしない カチカチのパン🍞をこれまた全く味のしないチーズ🧀をのせて食す。
そしてボクたちはゲルのお母さんに隠れて持参したサバ缶やカップ麺でお腹を満たしていざ出発🐴!!
閑話休題
今回もまた三男が落馬した。
しかし泣くことも諦めることもなく最後までよく頑張った。強くなった💪💪
最終日の夜はお母さんのゲルに招待してもらいみんなでパーティ🎉🎉
2次会は満天の星空につつまれながらゲルのお父さんと2人で牛のミルクで作ったチーズを肴に馬乳酒で乾杯🍺
本日13時55分フライトにて機上✈️の人となり帰路に着く🏠
さっ、帰ったら5日ぶりのお風呂🛀楽しもっ😃
なんか奥さんに早く会いたくなってきた
😍☠️❤️
我が子2人がフィリピン🇵🇭マニラへ
2024年8月22日
それにしても暑いですね
みなさん夏休みはいかがお過ごしですか
我が家は長男と次男の2人がフィリピンのマニラへ10日間のボランティアの旅に出た。
旅とはいえNGO国際協力が主催する〔旅〕
フィリピンのスラム街やゴミ山で生活する子どもたちに炊き出しや様々なチャリティーイベント等々で交流を図るそう
現地ではスラムの子どもたちと共に過ごし、そして深くふれあいながらかけがえのない経験を。きっと仲間や現地の人々と思いを分かち合い、また不自由なき日本で過ごす今を己を見直せる10日間になることだろう
首都マニラと言えど貧困の差は極端に激しく、彼らと同じ年の子たちは学校にも行けず毎日ゴミ山で金属類を拾い集め家庭を支えています。そんな子どもたちと触れ合い、遊び、一緒に歌をうたい、あまつさえ寝食をも共にすることによって彼らの心に何かしら響けば本望だ
日本って豊ですよね 豊かすぎますよね
でもボク的には、昭和の雑な時代がなんとなく懐かしい今日この頃であります
姫路駅までお見送りに
ゴミ山で金属類を探す子どもたち
3回目の渡蒙
2024年5月8日
今回で3回目の渡蒙。今年も子どもたちとモンゴルの大草原を爆走してきた。8日間の旅で170キロ強を走った。トイレもお風呂もない。初日に三男が落馬して大変だったけど、でも目的地まで走り抜かなければならない旅。妥協はない。遊牧民と共にゲルで過ごし、遊牧民と共に目的に向かって旅をする。地獄極まりない旅。されど馬上からの景色、達成感は何にも変えられない。また子どもたちに諦めない気持ち頑張れば何とかなるんやって心のどこかに残れば幸い。他国と比較してもモンゴルの大草原には甲乙つけ難し魅力がある。と思っているのは愛妻以外のボクと子どもたちだけだ。帰って9日ぶりのお風呂楽しもう。
Naturaceオープンから3ヶ月
2024年2月10日
かれこれ5ヶ月目のブログ更新。この上なく忙しく更新する余裕もなかった。今現在もそうだが2023年は私にとってかつてない激動の1年になった。毎年激動の年と言っているが、いやいや昨年ほどではない。二足の草鞋として法人経営でNaturace Dog Spa & Dog Cafeを11月18日にグランドオープンさせ、早3ヶ月目を迎えようとしている。ゼロからのスタートゆえに試行錯誤しながらスタッフと毎日毎日ルールを作り試作を試み悩み壁にぶち当たり、ストレスと焦燥等々で眠れぬ日々が今なお続いている。しかしお客さんの入りは順調なほうだろう。評判も良い。公式Instagramのフォロワーも今現在で1700人を突破している。俗に言う立派なインフルエンサーと言えよう。また市街地では珍しいと言うこともありさまざまなメディアにも取り上げてもらい宣伝効果は抜群。トリミングサロン、ドッグカフェ、ドッグランの3つを兼ね揃えた複合施設。いまでは全体のシステムも確立しリーダーに一任している。斯くいう私は本業であるアタ工業へ戻り日曜日などに応援に行くぐらいだ。ペット業界ではコロナ禍で需要が大幅に伸びている。外出出来ぬなか愛犬を迎え入れる家庭が一気に増えたそうだ。御多分に漏れることなく私もその中の1人。そんな時トリミングの予約をしようとあちらこちらへ電話しても予約が取れない。「ならば自分でしようか」と思い立ちすぐさまトリミングの学校に通い、パン教室にも通い知識を詰め込んだ。これから暖かくなるにつれ来客数もさらに見込めるであろう。さっ、今年は節目の50才。ステキな1年にしたいものだ。
50代を楽しもう。
阪神優勝
2023年9月15日
私は一応阪神ファンだ。とはいえ熱狂的でもなく中継を観るわけでもなく、物心ついた時にはなぜか阪神ファンであった。当時は巨人が強く人気があった。兄は巨人ファンで羨ましかったのを記憶している。当時私は母に「お兄ちゃんみたいに巨人ファンにかわりたい」と申し入れた。すると「市役所に手続きしに行かなければいけないから今はダメ」と母。今思えばおかしな話だ。かく言う私とて高校野球はよく観る。感動を与えてもらえるし一生懸命な球児を応援したくもなる。しかしプロ野球は観ない。嫌いだからだ。プロ野球選手は試合に勝つと「ファンのみなさんの応援があったからこそ今日の勝利があります」と言っては客席に満面の笑顔で手を振り、握手をし、サインをする。しかし負け試合ではどうだろう。負けが決まった瞬間に監督をはじめ選手たちは客席を見ることもなくグランドに目をやることもなく不機嫌そうにベンチ裏へと消えて行く。試合結果は関係なくファンにはなんだかのアクションを取るべきだと思う。プロの仕事ではない。高校野球では負けても必ず挨拶をする。スポーツマンシップってなんだろう。だからプロ野球は嫌いだし観ない。応援もしない。でも大谷翔平は好きだ。
18年ぶり6度目のリーグ優勝
上棟式
2023年8月26日
本日、8月26日(大安)無事上棟式を終えることが出来た。
Naturace
Dog Spa & Organic Cafe 🐾
Himeji West
私の考えるNaturaceは家族とワンちゃんのための複合施設。この構想をたてて約3年。とても忙しく充実した日々を送ってきた。今なお進行形で考えすぎて夢にまで出てくる。焦燥にかられ、悩み、壁にぶち当たり計画の断念。ときに眠れぬ夜も多々。しかし今からはそれらを形にしていかなければならない。もっと大変だ。努力し、いろんな人の力を借りて一つづつ解決し新しきを発想し実現に向けて行動する。オープン予定は来る11月4日(大安)を目指している。49才からチャレンジするのが正解か否かわからぬが退屈で単調な人生を送るよりは夢を持ちたいし必ずや成功を収めたい。前記しているが、姫路一を、いや兵庫県一を目指し内容にもこだわり自信のあるプランが完成しつつある。姫路でも田舎に行けばドッグランはあるが市街地では珍しい。お客さんにはこの上ない癒しを提供したいからね。Dog Spaではマイクロナノバブルを標準装備したおもてなしで期待にこえれるトリミングを。カフェではワンちゃんと一緒に楽しめるオーガニックを中心とした飲食を堪能してもらい、大きな窓からは自然たっぷりな景色に癒されてもらうのがカフェのコンセプト。ドッグランでは小川が流れ、ワンちゃんとお子さんが一緒に水遊び出来るプールがあり、お父さんが井戸水のポンプで汗をかきながら小川に水を流す。最高です。私のブログを読んでくださってる皆さん、ぜひ Instagramのフォローよろしくお願いします。
https://instagram.com/naturace_dog_cafe?igshid=MjEwN2IyYWYwYw==
応援よろしくお願いいたします。
2度目の渡蒙
2023年7月31日 (滞在4日目)
モンゴルの果てしない大草原は子どもたちの心と身体、そして気と忍耐力をも成長させてくれる。本来忘れかけている何かがこのモンゴル国の広大な大草原にはある。そう、昨年に続き2度目のキャラバンに挑戦。長男の世那は受験生の為断念。世輝と世仁の3人で渡蒙した。遊牧民と草原の国、空と大地に溶け込むような豊かな時間が過ごせるのが最大の魅力だ。昨年は約120キロを走破したが今回は日数を8日間に増し200キロの旅を目指している。過酷極まりない旅だが馬上から望む景色、遊牧民と共に過ごす日々、馬、ヤギ、犬、牛等の家畜たちと遊び世話をしているだけで日本の喧騒を忘れ非現実的な特別な時間を体感できるのには感動や感謝すら覚える。旅の最終目的地でもある巨大チンギスハン像を目指してひたすら歩むのみ。
続きは続報にて。
追記 総移動距離約185キロ。200キロと
いう目標距離達成ならずも納得の
いく意義のある旅が出来た。来年
はまた父子4人で挑戦したいもの
だ。
ベトナム出張 in Hanoi
2023年7月10日
この度4日間の日程でベトナムの首都ハノイに渡った。技能実習生、特定技能生、エンジニアの受け入れに必要な手続きをするため大使館を訪問するのとVINAMEX日本語教育センターの視察、両社の情報、意見交換等が第一の目的。第二は言うに及ばずもちろんバカンス。言葉?小生とて播州弁が通じないのは承知の通り。ゆえに愛息第一番弟子の世那を通訳として同行させた。彼とは5年前にも通訳としてタイの出張に同行させた過去がある。当時中学1年生だった彼はもう高校3年生。今年受験で大変な時期だがこの旅が彼にとって受験の役に立ち人生の経験として心奥に残り、加えてほんの少しでも息抜きになったならば幸いだ。そんな彼は国際経営学科を目指していることもあって東南アジアの国際文化を肌で感じ目に焼き付ける良き機会になったのではなかろうか。ベトナムはインドシナ半島東部に位置し、南シナ海に面する東南アジアの国で、北部は中国、西部はラオスやカンボジアと国境を接している。ハノイでは現地スタッフが移動、食事、観光、マッサージと全ての手配をしてくれた。案内してくれた観光地にはハノイ中心地にある旧市街地、ゴクサンという有名らしきお寺、ランタオという標高1400mの高地に様々な店舗があり、国内外からも避暑地として人気のエリアなども訪れた。夜な夜なディナーに招待してもらい、それぞれの景色と文化、そして現地の食を堪能させてもらった。とりわけ印象に残ったのはこの旅の目的でもあったVINAMEX日本語教育センターに訪問し、会長、社長、副社長らとの意見交換に加え毎々楽しかった会食等が記憶に残る。大都市ハノイと言えど、数十年前の日本とどこか近く感じた。古き良き時代にタイムスリップしたかの如くどこか懐かしい香りがしたのは私だけだろうか。10月末はホーチミンへの出張を予定している。
ハノイの風景
日本語教育センター訪問
私と通訳の息子
I Have a Dream
2023年5月21日(大安) 地鎮祭
「今いる池がとても安全に感じるかもしれませんが、そこから出て冒険をしないと、海を知ることはできません」
いつだか読んだ本で記憶に残る言葉。同感だね。当たり前のようなことだけど決して容易くはない。当たり前の社会に当たり前の日常、当たり前の環境に当たり前の人生。老いて気付けばアっという間に定年退職。老後??心配しなくてもいい。大丈夫ですよ。そんなあなたには当たり前の老後しかないんだから。平々凡々、且つ単調な老後。いや、待てよ。少子高齢の悪しき時代に突入するのだからもしかしたらばそれ以下??しかしながらそれも人生の選択肢としては決して悪くはないだろう。変化がなければ刺激はないが普通の人生が送れる。その代わり欲を出すな。普通でいい。むしろ私は逆だ。元来自由人であり冒険家、オマケにバカ。だからこそ恐れずチャレンジしたいししてきたつもり。ほんの少し人とは違う。その代わり失うものも犠牲にする事も多いかもしれぬが得るものも多い。良かれ悪しかれそんな私メが温めてきた新たな夢のひとつを実現すべく本日(大安)Terrace Garden ・Dog Salon & Cafe の地鎮祭を晴天の下執り行った。
Naturace🐾
Dog Spa & Organic Cafe
Himeji West
オープンは10月下旬ないし11月上旬を目指している。時代のニーズって感じ得るもの。需要があらばいざ。姫路では珍しき200坪の土地に自然があふれ小川の流れるドッグランを併設したトリミングサロン&ドッグカフェ。姫路と言っても遠くに行けばあるが市街地での話。本業の傍らコバトトパン教室、神戸愛犬美容専門学院に通い早2年。されどこんな日常から様々な情報を得ているし学んでもいる。私は絶対に勝ちたい。老後は妻と2人で海辺で小さな平家を建て、魚釣りでもしながらそこでゆっくり余生を楽しみたいと切に願っている。海外も然り国内も然り。おじいちゃん、おばあちゃんになっても2人で手を繋いで砂浜を。夢って叶いますよね。叶えますよね。己が努力し2人で協力することによって。
「今いる池がとても安全に感じるかもしれませんが、そこから出て冒険をしないと、海を知ることはできません」
私は海を見たい。いや、行き止まりのない果てしなく広い海が見たい。老いた2人で砂浜を散歩しながらこれまでの人生を省みるのもいとをかし。その時はビールじゃなくて和菓子片手に抹茶でも飲んでるのかもしれませんね。もしその時歯があれば煎餅かおかきで。
英賀神社の木村宮司には公私共にお世話になっている。
10年目にして。
そして19年の時を経て
2022年5月4日
え〜っと、初の続編として。その前に一言。思いのほかブログ読者からの反響がありいつも驚かされております。メールでコメントいただいたり、電話くださったり、また職場見学に来てくださったりと感謝いたします。この場をお借りし御礼申し上げます。
さてさて本題に。続編ということで、記憶を辿りしたためさせていただきます。私が結婚したのは2003年の9月7日。さわやかな秋晴れの下、ラヴィーナ姫路にて妻と変わらぬ愛を誓った。拙者29才。妻25才。女子は何かにつけて記念日を重んじる。斯く言う私も妻ほどではないが大切にしてきたつもりだ。2人が付き合った記念日。それぞれの誕生日。子どもたちの誕生日も然り。特筆すべきは結婚記念日だ。結婚記念日はお店を予約し2人で出かけるのが常。しかし10周年は私の気合が違った。本気の卍。ラヴィーナ姫路で10年前の同じ日、同じ部屋、同じ衣装、家族、仕事仲間、そして友だちを招待し盛大にさながら2回目の披露宴を開いた。10年前と違うのは3人の愛息が横にいる事。言うも涙語るも涙。涙なしには語れない物語。そう、遡ること10年前の更に約半年前から私は行動した。残業で帰りが遅くなると偽っては式場に足を運び担当者と打ち合わせを重ね、新しい指輪を購入する為宝石店にも足を運び、また出席者への招待、引き出物の選択からウェディングケーキの購入に至るまで全てを秘密裏に1人で動いた。両実家に行っては昔のアルバムを貪り各々の10年の軌跡をまとめスライドショーで流した。司会進行は義理の兄。妻や子どもにはラヴィーナに10周年の写真を撮りに行くとだけ伝えていた。そう、スーパーサプライズの始まり。思い出のある場所に立ち寄っては撮影してもらった。スタッフさんメイクさんも常に一緒。妻は不思議がってた。「写真撮影だけやのに至れり尽くせりやなぁ。」って。そして最後に1番大きな扉の前へ。事前に準備していたキャンドルサービス用のメインキャンドルを2人の手に。その時が来た。そしてスタッフがメイン扉を開くと同時に大音響の聞き覚えのある曲が。一連のミュージックは当時使用した曲だ。馴染みのある顔がそこここに。この時点で感動やね。奥さん、「なんで?なんでみんなおるん?なんで〜?」って。子どもたちも超ビックリしてた。式の最後に私から妻に感謝を込めてお手紙を。そこでまた涙やね。そして最後のサプライズ。新しい指輪を妻の薬指に。間髪入れず今回かかった恐ろしいくらいの費用全ての請求書、領収書を恐妻にプレゼントした。恐妻→💢。私→💧。でも2人は❤️。ともあれ、あれから今年更に10年目を迎えようとしている。20周年。よく聞く言葉だ。そう、磁器婚式。感慨深いです。妻には感謝です。いつまでも仲の良い夫婦でいたいです。20周年は2人で旅行でも行こうかな。盛大に。忘れられない旅に。請求書は妻に。・・・悪しからず・・・。
27年の時を経て
2023年4月17日
まだまだ青2才の私が鉄工の世界に身を入れ、父の背中を見て日々修行を積んだのが本格的な社会人生活のはじまり。まだまだ遊び盛りだった私は夜な夜な不良仲間とつるんでは寝る間を惜しんで遊びまくった日々が今となってはこの上なく懐かしい限りだ。確かに若かった。それでも仕事だけはマジメだった。他の人が2つの事をしたらば私は3つの事をした。休み時間に図面を見てる奴がいたら負けじと家に持って帰って予復習した。幼少から負けず嫌いで勉強以外は常に1番を求め、加えて何かにつけリーダーを好んだ私。野心があり野望があったね。そんな不肖私メが入社から4年の年月が過ぎた頃、仲の良かった悪友を集め小生22才にしてアタ工業を立ち上げることに。創立1996年。カッコ良く言えばSince1996とでも表現するのだろうか。とても暑い夏の真っ只中だったと記憶している。立ち上げ当初、アタ工業には1班(鍛治工)5名・2班(鳶工)3名といきなりだが8名でスタートさせ、順風満帆とはいかなくともそれなりに会社という小さな小さな組織を楽しんだ。その当時のメンバーの1人、Tが此度45才にして晩婚で幸せをつかんだ。彼は創立依頼約10年もの長きに渡り私の右腕としてアタ工業の歴史に、また私の心奥にその功績を刻んだ。そして今はS社の責任者として頑張っている。また、数年前に脳梗塞を発症し退職したHも然り創立メンバーで23年間苦楽を共にした戦友の1人。近年冠婚葬祭といえどネガティヴパーティーばかりで明るい場が少なかった私にある日Tから1枚の郵便が。そう、幸多き式への招待状です。私はありきたりのいつに変わらぬ結婚式を想像していたのだが然にあらず、令和の今日に相応しきオリジナリティあふれる演出に魅了され場に酔いしれた。そんな私がこの素晴らしき宴で乾杯の挨拶を仰せつかり、曲がりなりにも無事役目を果たし私なりに彼の新しい門出を祝せたかなと自負している。かねてより会社代表、友人代表、キューピットとして晴れの舞台での挨拶はかれこれ6回の経験を持つ。しかしながら此度は久方ぶりゆえいつになく緊張した。彼にはいつまでも幸せでいてもらいたい。感動やね。お幸せに。
( 次回ブログ予告 )
10年目にして。そして19年の時を経て
乾杯の挨拶
Tくんと2人でサイパンへ
TくんとHくんと3人でタイの首長族を訪問
持続可能な企業であり続ける為に
2022年3月10日
年々少子化が進んでいるのは言うに及ばず。先日ニュースで報じていた。2022年の出生数は80万人の大台を割り込み、過去最少を記録したそうだ。逆に死亡数はコロナ禍も関係するのか否か出生数の約2倍に膨らみ過去最大の自然減になったと報じている(自然減?コロナ禍で?)。してみると、この先〜20年後、更にはその先を熟慮するなれば我々企業にとって最大で最悪の人材難が訪れるのは火を見るより明らかだ。ともすればやはり海外からの労働者受け入れが最も重要になってくる・・・いや、言葉を変えれば頼らざるを得ない時代が必ずや訪れる。斯くの如しまだ見ぬ先を見据え一計を案じるのも企業としては生き残るためには最重要課題ではなかろうか。我々のような鍛治工はとりわけ多品種小ロット生産が主の為、技術と経験、知識と知恵、加えて職人のセンスをも求められる。かつて団塊世代を生きることに一生懸命だったオヤジの時代はもう遥か遠い昔。いや、今は昔、今やゆとりからZ世代へと移り変わり苦労なく努力なくして楽に生きようと考える若者が多いのも令和の5年目としては決して珍しくはないだろう。そんな彼らと環境や境遇を共にするのであらば我々古参も古き考えを新時代を担う彼らに同調していくべきなのかもしれぬ。悪しきところがあれば片目をつぶり、反対に少しでも良いと思うことがあらば両目でしっかりと見てあげよう。そして良かった内容をわかりやすく説明してあげよう。また全員にそれらの情報を共有し公開しよう。心から褒めてあげよう。そこからどんどん伸ばしてあげる。古きも新しきも苦楽を共に働く仲間。共存共栄せねば企業としては明るい未来はないだろう。バブルなんて知らない。良き時代も知らない。今を、この時を悔いなく一個人として、一企業として前を見て一歩ずつ歩んでいきたい。日本人もベトナム人もタイ人もみんな同じ人間。可もなく不可もなく、上もなく下もない。互いに尊重しあいながら今ある仕事を勤しもう。だってボクたち大きな宇宙の小さな星に生まれた同じ地球人なんだから。うん、そうドラえもんが言ってた。
改悪
2023年2月22日
日本の企業はとりわけ掲示物を好み何かと自社に対して保険をかける。保守的なんやろね。私の言う保険の一例を挙げればKYミーティング然り熱中症対策でドリンクを何時に何リットル飲みましたか?アスベストを扱う時マスク着用。防護服着用。それら全てに労働者はサインをする。もし何かあっても会社としては指導してるし教育もしてる。本人のサインがありますってことになるんやろね。結局事故した労働者、死亡した労働者が悪くなるシステム。閑話休題。私からしたら下記に記す掲示物等は自社の値打ちを下げているような気もする。(安全第一)うん、これは良しとしよう。悪例として(土足厳禁)(スリッパは揃えましょう)(可燃ごみは指定のゴミ箱へ)(整理整頓)(トイレキレイに使ってくれてありがとう)(タバコは指定場所で)・・・等々キリがない。ルールや決まりって守らない人がいるから致し方なく作るのであって、みんなが当たり前のことを当たり前に出来ればそんなルールを作る必要もないしそんな張り紙なんていらない。会社からしたら一種のパフォーマンスにすぎない。もし来客者がそれらの張り紙を見たら「あっ、この会社の人はそんなこともできないんだ」と認識?誤認?するだろう。加えてそれらの掲示物は社の価値を下げているだけのような気がする。必要??車の駐車は前向きに??一言朝礼で言えば済む話。もしそれで守れない人は辞めてもらったらいい。辞めさすべき。
神戸愛犬美容専門学院の授業風景。男子は私だけ。
前期課程が終了し、後期残り1年半。
(株)KRKビジネス・オーナー会
2023年2月14日
先日、いつも仲良くしていただいてる琴会長主催の新年会に招待してもらった。国内のみならず海外からも250人と多数出席。驚くことなかれ異業種交流といえど政治家、経営者、海外の要人、プロ野球選手、芸能界と様々。こんな素敵な社交の場に小さな小さな超小さい鉄工所がまじってもよいのだろうか。私としてはこの上なく心地よい空間であり至福の時間を過ごせた。上を見ればキリが無い。さりとて下を見る必要はない。現状に感謝しつつ前を向いて進むのみ。いや、真ん前よりは少しだけ上を見よう。
スリランカの農林水産大臣さん。
サプライズで永ちゃんのモノマネさん。
我らが琴会長。
中国から来た反面
地元が同じで2人でご飯行ったりする仲。この4月の姫路市長選挙に立候補する榑谷健太郎。
ごぼうの党代表の奥野氏
唐揚げ弁当or唐揚げスペシャル
2022年1月10日
私は会社ってピラミッド型組織で成り立つのが理想と常に考える。いはく、トップがいてその下には2人のリーダーがいる。更にその下には4人がいる。トップ1人で全てを取り仕切ると身体が持たないし誰も育たないし育つ環境を提供することすら出来ない。各々に責任を持たせ、共に悩み共に成長するにはピラミッドありきと。しかし世間では徐々にフラット型に変わりつつあるのは厳然たる事実だ。私は社長でありながら常に従業員と共に汗を流し、勤しんでいる。ゆえ考えかたは昭和なのかもしれないが、例えば1つのチーム8人としよう。まず1人目は最高に仕事が出来、客対応も出来る。2人目は指示があれば動け、下のスタッフにも指示出来る。3人目同じく1番には動けないが指示があれば動ける。4番目言われた事は出来る。5番目言われた事は出来るが率先して出来ない。6番目失敗して失敗して覚えるタイプ。7番目早く時間が経てばいいのになぁ。8番目ダルい。まっ、こんなチームがいたとしても令和の5年目としては珍しくないだろう。これを元請けはどう受け止めるのだろうか。上位の人間だけ欲しいの?それとも全員を1つのチームとして見てくれるの?上位はレベルがあるから◯◯◯円。残りはオマケだから◯◯円。??。あなたは唐揚げ弁当を食べた事ありますか?唐揚げスペシャル弁当食べた事ありますか?まさか唐揚げの単品で注文しているのでは??みんなメインの唐揚げが大好きです。しかしその脇にはライス、ポテトサラダ、味のないパスタ、どうでもいい福神漬け、少しだけのサラダ、それに甘いだけの卵焼きも入ってる。それら全てを食べてこそ唐揚げ弁当なのでは?おそらくあなたは単品の唐揚げかもしくは唐揚げスペシャル弁当を頼んでいるんでしょうね。唐揚げスペシャル最高やん!!全てが美味しいもんね。私はいつも唐揚げ弁当を注文します。入っているオカズは何一つ残さないけどね。たとえ大嫌いな椎茸が入っていようとも。
プッシュとブル
2022年12月28日
とてもとても久しぶりの投稿になるので何を書こうか悩んだ。あくまでも私見として【営業】についてしたためたいと思う。業種はさておき会社にはそれぞれ営業方法が異なるのは言うに及ばずだ。日進月歩の如くITが進んだ現代ではSNSが営業主体になっている企業も少なくないだろう。プッシュ型営業(企業主体)とプル型営業(顧客主体)と言う言葉がある。私は元来前者であるプッシュ型営業を好み実行してきたつもりだ。私のような小さな小さな製造業ではITやらSNSと言えど社のホームページぐらいが関の山。私の考える営業とはやはり顧客との顔と顔の付き合いは欠かせない。加えて納期、品質、完成度、また我々職人の質等々が次なる営業、リピートを生む。見積もり依頼やリピートだけに頼るのではなくプッシュを行う営業マンのいる会社にはプルや顧客からのリピート依頼もあるが待つだけのプル営業ではその企業に余程の魅力がない限り大した案件を受注することはできないしリピートも難しいだろう。しかしこの場合個々の営業マンとしてはリスクは少なく労力もさほど使わない。だって見積もり依頼を待つだけなんだから。それに反しプッシュは新規開拓、また従来の顧客の所へ足を運び何らかのアプローチを適度に行う必要がある。もしかしたらばゆとり世代、ゼット世代が主軸として動いている今日では私の考えるプッシュ型はもう古いのかもしれませんね。定年を無事迎えたいのは誰でも同じ。されど事勿れに待つだけではなく、将来あなたのポジションに必ずや来るであろう若者にその時の会社を思う心があるのであれば嫌われるのがイヤではなく、厳しく注意、指導することも必要だし助言もしてあげてほしい。決して私は定年を待つだけのそんな彼らのような会社人生の終わりを迎えたくない。会社に対して感謝があるのであれば次世代の為に飴飴飴飴だけではなく時に鞭も使ってもらいたいものだ。黙っていてもお日さんは西へ西へ沈むからね。イヤだね。
おじさんのお誕生日
2022年9月24日
近年毎月集まって会食をする心の許すメンバーがいる。その中の1人、最年少の私メにも気さくに話してくれ、いつも可愛がってくれるKさん。先日彼の65才を祝う誕生日パーティーに大阪梅田の会場へ招待してもらった。前々から凄い方だとは知っていたが改めて彼の偉大さを目の当たりにした。1人の男の誕生日に100人もの人が集結するのだから。それも毎年ね。もちろんそこら辺の飲み屋でウダウダしている人たちではない。言うに及ばずだがそれなりの地位ある方々だ。パーティーでは様々な方と名刺を交換させていただき異業種交流さながら貴重な意見交換をさせていただいた。とても不思議、且つ心地よい時を過ごせた。そんな素敵な社交的な場を共有出来たこと、同じ空気を吸えたことに至福を感じ得た。ともすると、私自身この先50代を生きるにあたって「これまでの自分、これからの自分」を考えさせられる機会を与えられた場でもあった。Kさん、改めましてお誕生日おめでとうございます。いつまでもパワフルでどんな時も紳士なKさんでいてもらいたいです。次回姫路での会食は9月30日だ。みんな大好きペントハウス。
続報にて・・・。
カジュアルな正装で参加。
Kさんはいつも人の中心だ。
ケーキ入刀
奈良時代からの旧友と再会
2022年8月13日
かつて私が奈良県にある光洋サーモシステムの本社で働いていたのはブログ読者なら周知の通り。当時、工業加熱装置部の設計グループに属していたOさんやSさんとは縁あって未だ交流がありお世話になっている。この度仕事の話も兼ねて三男の世仁も連れてSさんの旧家がある岡山県は牛窓へ。そしてボートで小豆島への日帰りの旅を企画し、久方ぶりに再開を果たした。他愛もない話でたくさん笑った。朝から一行はボートで小豆島までクルージング、近海で船釣りを楽しんだ。帰港後はSさんの故郷をめぐり、彼の昔話を肴にノンアルコールビールを渇いた喉に流し込んだ。何年経ってもこんな関係っていいよね。何も変わらない友情。それも互いに超えない一線がある。ホント何も変わらない。無くなるものなど何もない。いや、唯一無くなっていたものが。それにしても散髪代って少ない分割引きしてもらえるのかなぁ。もしそうならラッキーやんね。
いつもお父さんと一緒の三男。
仕事の関係で赤穂に引っ越して来たOさん。
ベラ、ゲット。
釣りに飽きたのでいつの間にか海へ。
Sさんが定年後移住して8年間過ごした旧家周辺。
100キロの旅
2022年7月21日
私は今3人の愛息とモンゴルのナライハ大草原で過酷な旅に挑戦している。ここナライハは首都ウランバートルから80キロの距離に位置する大草原だ。旅といっても馬に乗ってただひたすら目的に向かって道なき道を移動する。いわゆるキャラバンやね。馬上からの景色を目に焼き付けながら時に歩き時に駆け抜け、水辺を見つけては人馬ともに身体を休ませ、夜はゲルやテントで遊牧民と一緒に歌をうたい手作りの馬乳酒を飲み家畜と遊び星空を眺めながら眠りにつく。そして日が昇ると家畜の世話をしヤギのミルクを飲んでまた馬で旅に出る。かくの如し遊牧文化を肌で感じ、草原の民と触れあい夜は地平線まで見える星の天幕に包まれたゲルで眠るのもいとをかし。私にとっても彼らにとっても生涯忘れる事の無い特別な時間として記憶に残る事だろう。ギブアップは許さない!男なんだから。なんとしても4人全員で100キロ走り切る。必ずね。
遊牧民のゲルで泊まりながらのキャラバン。
馬で走る100キロは本当に苦しい。なんとか完走したい。いや、必ず完走する!
三男と家畜の番犬。いつも一緒。
※ 追記 7月25日 誰一人落馬、脱落することなく総走行距離120キロ強を激走する事が出来た。彼らにとってこの経験が生涯忘れぬ事のなき想い出としてほんの頭の片隅に残れば幸いだ。
地鎮祭
2022年7月19日 一粒万倍日
株式会社 Luana。この社名の由来はハワイ語でリラックスする、みんなで楽しむ、くつろぐ等の意味を持つ。ベアズガーデン立ち上げから約13年。妻は休む間もなく子育てと仕事を両立し突っ走ってきた。そんな悠久の時を経て彼女が安らぎを求め、またみんながリラックスできて癒される空間にしたいなぁと希望と願いを込めLuanaと命名した。そしてこの度同社で運営するBear’sGarden English Spaceの施設を新築すべく雨の中地鎮祭を執り行った。雨降って地固まるとはよく耳にする言葉。完成は11月上旬を予定している。
この施設の主たる目的として卒園児のアフタースクールや一般からの英会話スクール、大人を対象とした英会話、料理教室、その他多目的スペースの有効活用を目指している。一粒万倍日。敢えてこの日に地鎮祭を選んだ。読んで字の如く一粒万倍とは、一粒の籾が万倍にも実る稲穂になることに由来する吉日のことだそう。ベアズガーデングループの更なる発展を願い、妻に心より感謝するとともに敬意を表したい。
(株)木村工務店、期待してるで!!
1億分の1の出会い
2022年7月7日
前回のブログで悪を出したので今回はやんわりといきます。今日は七夕ですね。余談ですが実姉の結婚記念日でもあります。ホンマ余談やね。閑話休題として何才になってもイベント事は楽しくワクワクするものです。とりわけ播州には欠かせない行事と言わば秋祭り。加えて各自治体で行われる夏祭り、はたまたクリスマスやお正月、気の許す仲間で集う飲み会も然り。日常を忘れ無になり、また時に少年の心に戻れるイベントも必要ではないでしょうか。話はさかのぼりますが若かりし頃私がアタ工業として常駐していた会社では頻繁に飲み会がありました。言うに及ばずですが2次会、3次会へと続くパターンが多く、余暇は楽しく辛い朝を迎える日々が多くあったのを覚えています。たまたま某日2次会で私の実家に多くが集まって飲み直すことになり、他愛もない会話に華を咲かせいつになく盛り上がった日。大体がいつものメンバーで、元請さんの課長さんや事務員さん、職人さん、協力会社のメンバー、図面屋さん等々もおられ、今のように運転代行など無き時代。宴会も中盤にさしかかり事務員さんが妹に電話し迎えにこらせたのが私の第二の人生幕開けとなりました。当時のK課長さんはなぜか私と彼女を結びつけようと躍起になり、いろんなセッティングもしてくれました。いわゆるキューピットやね。結果彼のお陰で幾度のデートを重ね良かれ悪しかれ・・・??今日がある。確か告白は超ローカルですが付城公園の船の形をした遊具の上だったように記憶している。彼女、本当に可愛いかった。でも後に知ったんだけど彼女は私に一目惚れだったみたい・・・。わかる気がするよ。懐かしいね。あれから19年。またあの頃のようにデートに誘ってみようかな。今の私があるのは彼女のお陰。例のK課長さん、今はI工業さんのNo.2として活躍されています。そう言えば結婚の祝いとして彼から頂いた観葉植物ですが、現在も庭ですくすくと育っています。人と人との出会いってすごいですよね。
我が家の末っ子、ルーシー。
法人なめとんか!!
2022年5月30日
今日はグチろっ。ハッって感じ。短文でいきます。今は昭和ではありません。平成からの令和も4年目。イチゴウ??様子見??前の子らと一緒??こっちはそこらへんの税金も払ってない保険もない何とか工業ちゃうねん!!!!!個人事業主ちゃうで!またこれでやる気が更に一つ減った!!人種差別してるのかな??
最高の仲間と最良の時間を
2022年5月25日
一日千秋の如く待ち望んだベトナム人エンジニア(高度人材)カンとチュンの来日。予定より一月遅れになったが無事入国し、隔離期間を経て晴れて16日播州の地を踏んだ。奇しくもタイ人実習生の帰国も重なったが、彼らの歓送迎会を兼ねて湯村温泉の旅を計画。
旅中は仕事の話はせず思い出話やこれからの事、他愛もない会話に花を咲かせた。みんな仕事では見せることのない100万ドルの笑顔で、何にも変えられない素敵な時間を共有することができた。
帰りの道中、帰国する2人からサプライズのお手紙。みんな涙ね。もう本当に家族ね。ゴートとルン、2人には必ず幸せになってもらいたい。いつまでも応援している。これからはカンとチュンの日本の父親は私だ。厳しく優しくまた厳しく。あまつさえ、我々の知識、知恵、技術を継承し、共に成長していきたい。私に預けてくれた大切な命と健康を本国の両親にかわって守る事を誓う。みなさん、応援よろしくお願いいたします。
ゴート、ルン、3年間ありがとう。感謝な。ホンマに寂しい。アホ
桑年(そうねん)
2022年4月21日
光陰流水のごとく過ぎ去りし、良かれ悪しかれ本日をもって小生48の年を迎えた。私自身己の生誕48年目なんぞ想像したことすらなかったし、いや、頑なに考えたくもなかった。しかし今現実として今日がある。年追う自分の姿を想像するに実に恐ろしい光景だ。あと2年もすると言わば読んで字のごとく「中老」に突入するわけだが思索するや尚恐ろしき。平たく言えば「五十路の坂にさしかかる」って表現が正しいのかもしれない。齢を重ねるにつれ我が人生を省みることが多くなったのも事実。もしあの時違う道へと進んでいたらば・・・、もしあの時あの人と出会わなければ・・・、もしあの時勇気を出してチャレンジしていれば・・・、もし結婚相手が・・・・・。失言。もとい。とにもかくにも過去を振り返る機会が増えたのは紛れもない事実だ。いつか誰だかが言ってた。「五十にして天命を知る」。ともすると、今を精一杯生きている私の存在理由、また客観的にみた時の存在価値を評価するのは他の誰でもなく今の自分でもない。もしかしたらば定年を迎え妻と2人で孫と遊んでいる時なのか、それともまた己の死を覚悟したときなのかもしれませんね。不安材料の多きこの時代を、今を、この瞬間を悔い無く存分に生きよう。愛する家族やかけがえのない仲間とともに。Happy Birthday to me
※ 追伸 上記文を読み返したらいったい何が言いたいのかわからない内容になってました。
乱文悪しからず。
一日も早くウクライナに平和が戻りますように。
出会いと別れの春
2020年3月19日
この度無事にベトナム人エンジニア(高度人材)のERFS申請が終わり出国ビザの手続きが完了した。政府がコロナ水際対策を3月から緩和すると発表し、入国制限を1日5000人に引き上げたことも相まって入国待ちをしていた外国人労働者、留学生等が本格的に動き出している。彼ら2人の来日は4月中旬を予定しているが、奇しくもタイ人実習生の2人はひと月遅れの5月13日を持って弊社を去り、母なる国へと帰郷する。たかだか3年、いや、されど3年。家族同様に過ごした日々は我々にとって国境を越えた計り知れない関係性を生んだのは厳然たる事実。本当に本当に寂しい。帰国後の2人の将来を案じ心より応援したい。そしていつかまた私たちとの仕事を希望するなればもちろん快く受け入れる用意はある。ゴート。ルン。頑張れ!!そして新しく来日する2人、カンとチュン。読んで字の如く高度人材として選ばれし者というだけあって私の質問にも即座に返答でき、また的をついた期待通りの、もとい、期待以上の答えが返ってくる。労働者不足が懸念されている日本の製造業。当社にとっても彼らに頼らざるを得ないし期待のホープでもある。夢と希望を持って来日してもらいたいものだ。私はそれを手助けすることを誓う。新たな時代を見据えた事業展開、人材確保 をこれからも進めていく上で外国人エンジニアの存在は必要不可欠だろう。国境に差はなく上も下もない。同僚でありライバルでもある。入国したらば歓送迎会を兼ねて社員旅行でもどうだろう。新しき出会いと別れを素晴らしい仲間と最高の時間を共に出来れば私としても幸いだ。5月はとても複雑な気持ちで過ごすことになりそうだ。本当に本当に寂しい。でも前を向いていこう。新たな展開を新しい仲間と共に。
最後の申請書類 申立書
夢って叶うもの
2022年2月14日
一般社団法人 ベアズガーデン国際自然こども園として4月の開園に先立ち、本日移転先の西今宿で晴れてスタートを切った。本当にたくさんの方々からお祝いやお花、メッセージ等を頂き感謝の念に堪えません。妻を中心に私も含めスタッフが数年にわたりこの素晴らしき日のため積み重ねてきたものがやっと日の目に当たった。感慨無量だ。
3月上旬 園庭工事完了予定
3月上旬 アフター棟解体完了予定
8月中旬 アフター棟新築工事完了予定
南国の植物を求め奄美大島へ
2022年2月2日
現在携わっている外構工事・駐車場整地工事(クリーン事業部)もいよいよ大詰め。2月下旬には完了させる予定だ。この度植栽する樹木の選定、発注の参考にすべく東洋のガラパゴスとも称される奄美大島へコロナ対策を十分に講じた上で弾丸での旅を決行した。壮大で広大、そして雄大って言葉が相応しき奄美の大自然を体感し、この目に焼き付けてきた。助手として私の長男(高一)、弟子として次男(中一)、子分として三男(小二)を連れての男4人旅。沖縄の西表島に次ぐ国内2番目を誇るマングローブ原生林をカヌーで探検し、またジャングルではさまざまな動植物と出会えた。父子としてかけがえのない時間を共有し、また彼らには貴重な経験を提供出来たのではなかろうか。
父子4人旅もたまには良いかも。
日頃から彼ら3人は観葉植物を好み、その傍ら各々で熱帯魚も飼育している。その方面は私より詳しいのは言うに及ばずだが彼らのお陰で知識の薄い私メにとってこの旅は内容の濃い時間を過ごすことが出来た。
※ 完全に旅行になっちゃいました💧
マングローブ原生林
逆境ってチャンス到来ではないの?
2022年1月14日
私に限らず誰しも人生における幸不幸は予測しがたいものでしょう。今までの当たり前の幸せが突如不幸になり、また反対に不幸が何をきっかけに幸せに転じるかわからないのだから。それが人との出会いだったり環境の変化だったりまた何かの賭けだったり。だからこそ安易に喜んだり悲しんだりするべきではない。私メの座右の銘『 人間万事塞翁が馬 』という中国のことわざがある。逆境こそ塞翁が馬の精神でいるのも大切ではなかろうか。いつも私は楽観的だ。我が人生、順風満帆とはいかなくとも気持ちはいつの時も前途は洋洋だ(多分)。されどいつ何時底辺を味わうかは定かでない。でも負けないよ。そんな時でも必ず這い上がる自信がある。それは努力であったりタイミング、自分を取り巻く環境、出会い、様々な条件があるだろう。それらを掴めるか否かはやっぱ『運』やら『器』なんやろね。器と言わば少しだけ言いたい。話は少しそれるが経営者、各リーダーは一つの物事を率先して手を施すのもよし。また真っ直ぐ見るのも良し。しかしながら私は少し違う。野球で言うなればキャプテンではなく監督かな。一歩下がって違う目線でその一つの物事を、いや、その周り全体を観察してみたい。主役は主役を演じたら周りが見えないよ。一歩下がってそこで落ち着いて深呼吸するの。そして鋭い目で全体を見てあげたら周りが、全体が把握できる。あっ、今思ったこと。高級ホテルの総料理長って自分が率先して包丁を握っているだろうか。おそらくそんなはずはないと思う。包丁は握らず周り全体を観察し指示しアドバイスや助言をしているのではなかろうか。私もいつの日かは料理長ではなく総料理長になりたいな。
謹賀新年 ・ 2022
2022年1月4日
みなさん新年あけましておめでとうございます。本年も変わらず弊社、熊川及び社員一同よろしくお願いいたします。さていよいよ2022年がはじまりました。かつてのブログでも既述しているように私や妻にとって2022年は飛躍の年になるはずです。飛躍=それまで暖めてきた思想、思惑、構想、更には並々ならぬ努力や苦労、加えて言うなれば継続して襲ってくるであろうとてつもない壁。そう、そんな壁にぶち当たるたび対策を練り乗り越えていく。繰り返しやね。今年は私の干支、寅年です。虎のようにどんな時も前を向いて気合いを入れてこの一年もかつてないくらい突っ走りたいと心しています。とはいってもこの正月はことさらゆっくりダラダラさせてもらった。
たこ焼き屋さんでアルバイトしているゴート。
社員達もそれぞれお正月を楽しんだみたいです。技能実習生のゴートは私の知り合いが出店している屋台でタコ焼きのアルバイトに勤しんだ。なかなか様になっていました。本当によく頑張る子です。そしてベトナム人エンジニアですが無事奇跡的(?)に2人とも在留資格が発行されたと連絡があった。楽しみです。2022年も頑張りましょう
最後に、本年がみなさまにとって実り多き豊かな年になります事を心からお祈り申し上げます。
実績こそ次なる営業力に
2021年12月21日
いよいよ令和の3年も終わりを迎えようとしている。来年も変わらず健康第一で楽しく充実した一年になるようにと考える今日この頃であります。
さっそくですが閑話休題。
コロナ禍の影響は各方面に甚大な被害をもたらしているのは承知の通り。来年も我々製造業にとっても今まで以上に厳しい年になりそうだ。そこで私の考える営業とは。持続可能な会社経営をと考えたとき、個々の営業担当者がいくら頑張って新しき物件を受注しても我々職人が適当な仕事をしていたらば必ずしも次の受注には繋がらない。一つの製品を丁寧に制作し、現地据付でもお客様に喜ばれる作業手順、安全安心を提供し、また品質共に作業態度等も含めそれが本当の意味で次なる営業力ではなかろうか。これからもその気持ちを忘れず大切にし、お客様の期待に応えられるよう仕事に取り組み勤しみたい。私は次年で48才になる。気持ちはまだまだ若いつもりだが身体は正直なもので嘘はつかない。1日1日を大切にし40代後半も変わらず愛する家族や仲間と共に近く訪れるであろう厳しい一年、令和の4年を乗り切りたいものだ。
お礼
更新の度、私メの拙いブログを閲読いただき、誠にありがとうございます。こんな他愛もない薄い内容のブログですが思いのほか反響があり小生驚いている次第であります。また、多方面からコメントをいただき感謝しております。令和4年も弊社は然り皆様にとっても良い一年にならんことお祈りいたします。これからもよろしくお願いいたします。
妻の㊙︎㊙︎才誕生日デート。愛妻やね。
(ペントハウスにて)
飛躍の年・2021年 師走
2021年12月1日
かつてのブログでも記したように私にとって、また妻にとっても2021年は文字通り「飛躍の年」になった。いや、少なくとも進行形で2022年以降もこの状況が継続するのは想像に難しくない。公私共になんとも目まぐるしい一ヶ年を過ごした。もし我々が一般的なサラリーマン家庭だったらこんな興奮や喜び、また苦しみ、はたまた眠れぬほどの悩みも味わうことはなかっただろう。言い方を変えればこんな感情を抱けるのも良かれ悪しかれ自営業たる所以かもしれない。人生って一度きり。何事にもチャレンジせずその先の世界を知ることなく後悔するのもよし。それとは逆にチャレンジし失敗して何かを失いはじめて後悔するのもよし。納得のいくチャレンジだ。私は一度きりの人生。この考え方はいつまで経っても変わらない。必ずや後者を選ぶだろう。オールイン。
馬術に身を入れ早3年目。次なる目標は
3級ライセンス。
師匠との別れ
2021年11月16日
寂しいが決して悲しい別れではない。我々家族には悲しむ時間は十分にあった。去る2021年10月14日午前、私の師匠であり良き相談者でもある最愛の父が他界した。享年79才だった。一般的に日本の平均寿命は男性で81才だそうだ。しかしながら10年もの長きにわたり闘病生活を余儀なくされた彼はそれには値しない。健康寿命こそが理想ではなかろうか。老後を何より楽しみにしていた父。母親との旅行が大好きだった父。博打は一切せず家族のためだけに真面目に働いてくれた父。どんな時も家族を大切にしてくれた父。かつてそんな父に言われたことがある。「當よ、お前も独立して頑張ってるけど、一生働いてもお父さんを抜くことは出来ひんやろな」って。別に悔しくなかった。自慢の父だった。でも今そんな父、尊敬出来る父を抜いたと思う。それは下克上ではなく、オレなりの親孝行だ。きっと今頃天国で喜んでくれているはずだしこれからも応援してくれるはずだ。10年も闘病を支えてきた母に感謝するとともに父、母の子に生まれたオレは幸せ者だ。2人の子に生まれたことに心より感謝したい。産んでくれてありがとう。書いてて涙でてくるわ。
株式会社サンテェム(旧名 黒田機工商会)での表彰式で前社長から表彰を受ける父、健一
※ 追記
2021年11月19日
このブログを読んでくださってすぐさまお悔やみのメール、励ましのお電話、また足を運んでくださった方々、今は亡き父にかわって厚くお礼申し上げます。本当にありがとうございました。アタ工業、不肖、熊川でありますが今後ともどもよろしくお願いいたします。
ベトナム人エンジニア内定
2021年10月21日
去る10月2日に(株)Luana が無事1周年を迎えることができた。そして9月25日のSkype二次面接にてベトナム人エンジニア生を2名内定。彼らは早速ベトナムにある日本語学校に入寮し、日本語や日本の文化、弊社に関係する技能の習得に勤しむことになる。しかし内定したからといって必ずしも入国出来るとは限らない。生徒の経歴、加えて弊社の業務実績、業務実態等々の厳しい審査をクリアせねば行政からの許可がおりないのが技能実習制度との相違点だ。入国手続きに関しては行政書士に一任しているが、政府からの許可がおりるのはかろうじて6割だそうだ。かなり厳しい。あわよくば来年4月中旬入国し、半年の試用期間を経て正社員として相応しいか見極める。期待と不安と楽しみと希望。
入国後半年間の試用期間が彼らの命運を分ける。
たかが12年、されど12周年
2021年9月15日
私の妻が代表理事を務める保育施設がある。この度新境地への移転も決まり無事地鎮祭を迎え、すでに着工済みだ。そして去る9月7日に目出たく12周年を迎えた。2009年に田寺東にベアズガーデンインターナショナルスクール(認可外保育施設)を立ち上げ、2015年に西日本で初めてインターナショナルスクールとして県知事の許可を得て認定こども園となった。そしてこの度新境地にて、名称改め、ベアズガーデン国際自然こども園(認可保育園)をスタートさせる運びとなった。驚くなかれ特筆すべきは日本の認可保育園でインターナショナルスクールとしては関西で初。全国では広島の某保育園に次ぐ2例目となる。決して英語が全てではない。1300坪もの広大な敷地に自然をテーマに園舎、園庭を企画提案し、自然を大切に感性を養い幼児教育を行う。それがベアズガーデンの特色だそう。
12年間欠かすことなく最愛の妻に贈っている
2022年4月
・ベアズガーデン国際自然こども園
(認可保育園) 西今宿
・ベアズガーデンインターナショナル
プリスクール
(企業主導型保育園)田寺東
・ベアズガーデングローバルビレッジ
(株式会社 Luana)
〜同時開園〜
現在の認定こども園ベアズガーデンインターナショナルスクール (田寺東)
地鎮祭にて記念撮影
保育園では素晴らしいスタッフに恵まれた彼女は幸せ者です。みなさんに感謝です。
(株)前川建設さんにお願いして良かった。
安心です。
安全第一でお願いします。
タイ人技能実習生からの
ベトナム人エンジニアへの転換
2021年8月17日
近年日本国内ではエンジニアが年々減少しているそうだ。それとは対照に外国人労働者、エンジニアは明らかに増加傾向にある。「労働市場の未来推計2030」というのがあり、それでも同様の傾向を示しており、2030年時点での製造業は38万人不足するというデータが出ている。このように日本国内のエンジニアが足りなくなるという状況を受けて、外国人エンジニアの活用を検討する企業が増えているのが現実。御多分に漏れることなく弊社も技能実習制度を活用して早2年が経過したが来年の6月で実習期間の3年を迎える。満期を迎えた彼らは母国に戻り、現在の鉄工とはかけ離れた家業である農業の道へと進む。平たく言わばバンコクのような首都でない限り仕事は土木や農業が主なのだ。技能実習生制度を利用して得たことはたくさんある。良かれ悪しかれその経験を生かし、来期からはベトナム人エンジニアへと切り替える。こちらの制度は技能実習制度と大きく異なり大学卒業はもちろんの事、専門技術を持ち、日本語コミニケーション能力に関してはN3レベルで来日する。特筆すべきは優秀で選ばれし者しかチャスが与えられぬ制度。彼らには在留期限がない上、日本人と同等の給料支給を行う。加えて2年後には家族まで来日できるというメリットもあるのだから仕事に対するモチベーションも違うだろう。ほぼほぼ永住権を得たのと相違ない。彼らには日本人経験者同様即戦力として、いや、リーダーになるべく活躍してもらいたいものだ。本来なら現地での面接を望むところだがコロナ禍ゆえ、来る9月16日Skypeにて面接。また新しい家族が増える。楽しみだ。
義務を果たして権利を得る
2021年7月6日
世の中って不思議なもので義務を果たさない人に限ってことさら主張をし、己の権利を求めたがる傾向がある。汚い言葉を使えば弱い犬ほどよく吠えるのだ。労働基準もしかり、会社のあり方もしかり、また社会のルールもしかり、特筆すべきは納税義務だ。40代ないし60代、いや、それよりもっと上の年代に多くみられるが納税義務を果たさずして人一倍社会保障を求めたがるタイプ。何度も言う。声を大にして言いたい。義務を果たしてこそ権利を得るのだ。義務果たさずして権利のみを求めからず。そんな人たちがサービスを受けるのはおかしい。ストレートに言わば救急車を呼んだらダメなの。生活保護??最高のサービス。捨てるものがない人は強いよね。いつか罰があたる。
国民の三代義務
教育の義務
勤労の義務
納税の義務
日本って本当に平和です。
兄とコラボ
2021年6月7日
数十年前まで父が働いていた会社に今私が働いている。そしてこの度兄の会社から装置物を受注し、兄の設計で弟の私が製作・組み付けし完成させた。本日無事出荷。この光景を父が見たらきっと喜んでくれるだろうな。
まもなく2年目突入
2021年5月8日
技能実習生が来日し早2年を迎えようとしている。月日の経つのは早いもので、2人ともサボる事をせず誰よりも仕事に対して真面目だ。今では我が社にとってかけがえのない戦力として日々作業に取り組んでいる。ありがたい事です。ここ日本で言わば現代の20代の子が彼らのように文句も言わず真面目に働く事、また仕事を辞める事なく製造業の厳しい現場で働き続けることがはたして可能だろうか。日本は豊かな国だ。彼らの心は本当に純粋。自分の為にではなく、家族の代表として、父母を助ける為に今をこの時間を異国の地で頑張っている。日本人が忘れかけている何かを彼らは今なお守っている。俺はそんな彼らの力に少しでもなれれば幸いだ。
ある意味サラリーマンの鏡
2021年3月29日
私は18歳の若きにして一作業員として鍛治工事の世界に身を入れた。そんな私は今なお第一線で活躍しているのだが近年特に感じることがある。今が良ければ、自分が良ければそれでいい。自分が定年を迎えるまでは新しい挑戦はしない。させない。我田引水というか自己防衛的というか、ことなかれ主義なんやろね。私はまだまだ改革をしたい。なおすべきは改善したい。しかしそれらを行うには日常業務から非日常の予定外の出来事が増えるのも事実。時間も然り費用も然り。今だけをみるのではなく、近き将来への投資とも考え、そのために時間を割くのも良いのではなかろうか。大した意見もせず、右を向けば右を向く。指示されたことはするが自分からはしない。そんな社会人人生を全うするのも否定はしないがそんな上司のいる会社に部下は育たず、会社的に遠きの未来はないのかもしれないね。
3・11
2021年3月11日
あの恐ろしい震災から早10年。当時私は赤穂の発電所にいた。海の見渡せる2号機の上階でまことしやかに流れる情報に耳を傾け震えていたのが昨日のことのようによみがえる。 本当につらい出来事だ。一生涯忘れる事はないだろう。いや、決して忘れてはいけない現実を忘れかけている後世に伝えていかねばならぬ。頑張ろう日本!
赤穂発電所屋上から瀬戸内海の眺め
約束手形利用26年までに廃止へ
2021年2月5日
下請けの資金繰りを改善
先日のニュースで企業が取引の決済に使う約束手形について、政府が2026年までの利用廃止を目指すと決まったらしい。我々のような下請け企業の資金繰り改善を狙うとのこと。幸運にも弊社の取引先はキャッシュのみ。逆にキャッシュ以外で取引を考えたことがない。しかしながら私の周りにはご多聞に漏れることなく手形を切っている会社も少なからずある。断れば仕事が来ない。いつも泣くのは三次、四次下請けかもしれぬ。悪しきは即改善すべし!
新年あけましておめでとうございます。
2021年1月5日
新年あけましておめでとうございます。2021年は2度目の緊急事態宣言発令で幕開けです。一向に収まらないコロナウイルス。かつての平々凡々な日常は戻ってくるのだろうか。私的には2021年はかつてない飛躍の年と考えている。コロナ禍の逆境に負けず次なる戦いに、いや未知なる世界にも挑みたい。挑み続けたい。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ー師走ー
2020年12月5日
ブログ更新のたびに多くの方に閲読いただき、またメッセージをくださったりと誠にありがとうございます。【実績紹介】も随時更新しておりますのでぜひご覧くださいまし。話は変わっていつの間にやら師走。今年はコロナで始まりコロナで終わる。みなさんもそんな焦燥極まりない1ヶ年を過ごしたことでしょう。惜しむらくはまた新しき年をコロナで迎えることになる。1日も早い新薬開発、ワクチンの普及を望むばかりだ。そんなこんなの影響もあってか、今年度は年末年始の工事が比較的少ない。残すところ半月強、ゲガ無く事故無く健康第一に令和の2年を乗り切りたいものだ。
私の考える5S
2020年11月11日
その昔までは3S(整理・整頓・清掃)を掲げる企業が主流だった。しかし時代とともに(清潔)が追加され4Sとなり、今は昔、現代では(躾)までもが仲間入りを果たし5Sとなった。小生的には(躾)が追加される時点で日本全体的にプロとして各々のレベルの低下。また社会人としての仕事に対する取り組む姿勢、意識の低さを感じざるをえない。この5Sやらは掃除や片付けによる職場環境をきれいにする美化活動ではないと思う。職場の抱える課題を解決するための改善活動ではないだろうか。この活動によって仕事の質、又はチーム力を高めることができるのではなかろうか。かつてトヨタグループで働いてた経験からか、私は今でも改善活動を好み実行している。常に良き方法はないか。それは仕事への効率に繋がると信じているから。
人手不足対策への取り組み
2020年10月26日
弊社は常に人材確保に前向きだ。しかしながら意に反し採用までに至らず、また長期雇用には程遠い。遡って我々製造業の技術力は年々低下していると言っても過言ではない。団塊の世代が貧しい時代に己が生きるために努力を積み重ね覚え受け継いできた技術、知恵、知識も次世代への継承は難しく、今やゆとり世代へと移り変わり、手取り足取り優しく褒めながら教えていかねばならぬ時代。いかに育て、教育にも時間を費やし、なんとか個々の長期雇用継続に繋げるかが永遠の課題である。とりわけ製造業( 鉄工業・鍛治工 )は昭和の古き時代から進歩せず今なお日給月給が主流。御多分に漏れることなく弊社もしかり。ゆえ、弊社の最重要課題として、対策すべく個々を減給せず現状維持、又は昇給しての月給制へシフトし、週休2日制、ないし隔週休2日、有給休暇の取得、賞与、退職金等々、その他手当ての充実を図れないものかと模索している。令和を生きる者として遠からずの近き将来への投資だと考え、早期実現へと尽力に努める次第だ。
コロナ禍の為休止していた
クリーン事業本格始動
2020年10月11日
某福祉施設建設予定地(約1千坪)の敷地造成及び廃棄物処理工事。台風14号の影響で地盤はぬかるんでいたものの天候には恵まれ雑草の生茂った庭園もなんとかスッキリした。本日は事前工事で、本格的な着工は少し先の事。
Before
After
これからが大変です。長期戦頑張っていきましょう。
Under 50だけの社員旅行
但馬 in 香住
2020年8月10日
日頃の疲れを癒すべく、あえて真夏の香住に松葉蟹のフルコースを食しに一泊。日中は海岸で素潜りとBBQを楽しみ美味しいお肉と新鮮な海の幸を自然なままに堪能した。技能実習生も嬉々とし、普段では見せる事のない素敵な笑顔を垣間見ることが出来た。宿での夕食はもちろん松葉蟹。冬の味覚をあえて真夏にいただく絶品の海の幸を満喫🦀都会の喧騒を忘れる効能豊かな温泉。たまには仕事を忘れ他愛もない話に花を咲かせ、仲間で囲む蟹鍋もまたいとをかし。誰だかが言ってた。会話は最高の調味料って。That's right!!
明日からまた仕事頑張ろうぜっ!
漁れたサザエやアワビはその場で食べ、残りは夕食で調理してもらった。
潜れない人はBBQ担当
食べ切れないほどのカニ🦀
せっかくなんで夕食後に記念撮影
二次会にて。
なぜかゴートはいつも私の横に来る。
恐れていたコロナ禍第二波到来。
2020年7月29日
夏休みを目前にして新型コロナウイルスの第二波が到来し、ここ兵庫県でも感染者が日々20人〜50人と推移している。御多分に漏れることなく我々の鉄工業界にもその余波は訪れ、じわじわとその波が押し寄せているのが見て取れる。悲しいかな身近な取引先でも縮小や減産を余儀なくされているのが現状だ。弊社の如く自社工場を持たず、元請けの工場に常駐しているような10人前後の小規模企業には直に影響を及ぼす。私は代表取締役でありながら、しかし親方として第一線で活躍している。年も46になりいつまでも第一線で指揮を取るのではなく、従業員の安全と安定雇用を追求し、景気に左右されにくい新たな展開を起こせないかと考える機会が増えた。そのためにはまず、今の環境を維持、向上しつつ、この閉鎖的な現状を打開し、関連企業や異業種との交流、または更なる情報交換の場を求めていかなければならない。いつから??今でしょ!今こそ有言実行!!動け社長!動け親方!
1日も早い感染収束と経済対策の拡充を強く望み希望する。
介護離職
2020年7月10日
弊社に11年勤めたKさんが今月いっぱいを持って退社することになり本日送別会を開催した。【介護離職】テレビで観るだけの言葉だと安易に考えていた。彼は主軸として常に私の右腕となってまとめ役に徹し、リーダー的存在だっただけに悔やまれる。田舎から単身で出てきていたこともあり、来たるべき日が来た感じだ。脳梗塞を患った父の介護。これから田舎で職を探すのも大変だろうが彼なら次の職場でも活躍する事間違いない。時が過ぎ、またいつでも帰ってくればいい。ポジションはキープしとくよ。
宴会のたびに盛り上げてくれるMさん。彼が入社したのは17才の時。今はもう27才。仕事もこれくらい一生懸命してもらいたいものだ。いつもありがとう。
実習生受け入れから1ヶ年経過
2020年6月13日
光陰矢のごとし、技能実習生の受け入れから今日で1年が過ぎた。彼らにとってもこの1年はあっという間に感じただろう。日本語の勉強は言うに及ばずだが、仕事を覚えるのもしかり、道具や材料の名前を覚えるのもしかり、覚える事だらけの一年だった事と思う。若い2人が異国の地で家族の為に頑張っている姿を見るとついつい応援したくなるのは私だけではないはずだ。この3年間で日本の技術を盗み、少しでも自分の物にしてもらいたい。 努力、忍耐・・・、簡単なようで難しい言葉。頑張れ!!
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)
2020年5日17日
世界的に感染拡大しているコロナウイルスの猛威。緊急事態宣言の発令で治まってきているように感じるがそう簡単には治らないだろう。忍び寄るコロナ不況。姫路の企業も半年ないし2年後には不況に陥ると言われている。姫路の、いや日本の製造業の未来はいかがなものか。今我々に出来るのは今ある仕事を確実に行い、明日に繋げること。その明日の結果がまだ見ぬ未来を良き方向に導いてくれる事を信じて。
緊急事態宣言発令
2020年4月16日
ここ兵庫県は4月7日に発令されていたが、本日全国に緊急事態宣言が拡大された。いったいこの先どうなっていくのかわからぬ不安。まだ今のところ仕事には影響はないが決して他人事ではない。私の友人の工務店では中国から入ってくる部品関係がほぼストップしているとのこと。木材も値段が数%上がり工事が出来ないそうだ。今年のゴールデンウィークは楽しみにしていた旅行も中止になるだろう。もしかしたらば夏に予約している旅行も中止になるのでは。今はまず感染症が1日でも早く治ることをお祈りする。
令和2年度初出勤
2020年1月7日
新年明けましておめでとうございます。
毎年恒例で、新年初日は安全祈願で広畑天満宮を詣る。お世話になってる元請会社の社長さんをはじめ本社幹部のみなさんと勘兵衛工場のスタッフのみなさん、そして我々業者を含めた面々で参拝。また1年がこの地から始まりました。今年も怪我なく、安全・健康に従業員はもちろんのこと、その家族全員が幸ある1年を過ごせるよう心よりお祈りする。今年のスタートは心の底からおめでとうと言えない。なぜならばコロナウイルスの世界的猛威を危惧しているからだ。こんな素人の私でも、遠からずの近い将来日本にもコロナウイルスが蔓延するだろうことは憶測するに難しくない。なんとか治ってほしいものだ。ともあれ、今年もアタ工業をよろしくお願い申し上げます。
社員旅行 in 丹後半島網野町
2019年12月10日
社員旅行と言っても小さな会社ゆえ、大した事はない。レンタカーで小さなバスをリースして出発。私は一もなく二もなく蟹が好きだ。どうしてもこの季節になるとカニのフルコースが恋しくなる。ここ網野町は夕日ケ浦温泉があり、泉質も良好。殺風景な昔ながらの温泉街だが、ポピュラーな香住や城崎よりも出てくる量が半端なく多いし値段も良心的。食べきれない茹でガニはお土産として皆持ち帰りするほど。今年も残りわずか、安全第一で仕事に遊び頑張りましょう。
また1年仕事を頑張ってカニ食いに行きたいな。
播州姫路秋祭り
2019年10月18日
私の地元の秋祭りに実習生の2人を参加させた。
タイの大きなお祭りといえば4月13日〜15日まで続く水かけ祭りが有名だ。言わばタイのお正月みたいなものだ。彼らにも日本の播州で受け継がれる伝統ある祭りを体験してほしかった。
2人ともクタクタになりながら最後まで楽しみながら活躍してくれました。
また来年も参加したいそうです。
予期せぬ出来事
2019年9月22日
私の中学校時代からの友人であり弊社創立以来のメンバーでもあるHさんが脳梗塞で倒れて早3ヶ月が経つ。当時、現場の終わりで着替えるべく更衣室に入った。そして他愛もない会話をしていたのだが前触れもなしにふらふらっとしゃがみ込んだ。これは熱中症だと誰も疑わなかった。熱中対策水を与え、すぐさま119番通報し病院へ。検査の結果、熱中症ではなく脳梗塞だった。42才の若きにして。メンバー全員ショックを隠しきれない。リハビリに専念しているが言語障害と記憶障害は完治する事はないとお医者様から。この現実を受け入れるのに時間が必要だった。確かに彼は血圧が高く薬を服用していた。健康診断の結果も血圧以外はほぼほぼ問題なし。一体何に気を付けて生活すればいいのか。予知は出来なかったのか。兆候はなかったのか。悔みきれない。今は島根県の実家に戻り母親と一緒に犬の散歩や家庭菜園のお手伝いをし日々過ごしている。私の事すらもう彼の記憶の中にはないが、近々会いに行こうと思う。また一緒に酒でも呑みたい。